いつも家庭でできる超洗濯術をご覧いただいてありがとうございます。
今回は初心に立ち返って、洗濯機の歴史をご紹介したいと思います。
いまやあって当たり前の洗濯機ですが、洗濯機が無い時代に人々はどうやってお洗濯をしていたのでしょうか?
そもそもどうやって洗濯していたの?
洗濯という作業は、もともと川、湖、泉などの天然の水場で人の手や足踏みで行われていたものでした。
これだけでもかなりの労働力であることがわかりますし、冬場は水が冷たく決して楽しい作業ではなかったことでしょう。
感染症を防ぐための洗濯
ヨーロッパではペストをはじめとした恐ろしい伝染病が広まった歴史があります。これらの伝染病を防ぐために、グラグラと熱湯が沸くかまどに衣類やシーツなどを入れて木の棒でかき回しながら熱湯消毒をする洗濯の習慣ができました。
しかし、直火にかけられたかまどの中の重い衣類をかき回すわけですから、熱湯が飛び跳ねますしやけどをすることも日常茶飯事でした。
洗濯機が開発されたのはこういった家事労働を軽減するためという目的もありました。
初期の洗濯機は手動でした
洗濯機というと当然ながら電動というイメージですが、初期の頃は手動で動かす洗濯機が使われていました。
出展:19世紀の手回し式洗濯機 User:Itub, CC BY-SA 3.0 , ウィキメディア・コモンズ経由で
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Washing_machine.jpg
上の写真は19世紀の手回し式洗濯機です。樽の中にお湯と石けん、洗濯物を入れて回し、上部についているローラーで水を切るような仕組みになっていることがわかりますね。
また、手動式洗濯機には樽を横向きにして洗濯物とお湯、石けんを入れてハンドルで攪拌するというものもありました。
電気洗濯機の登場
電気洗濯機は20世紀の初め頃にアメリカで登場しました。
洗濯機の特許を初めて取得したのは1908年、アルバ・ジョン・フィッシャーという人物です。
これ以前にも電気洗濯機はあったのですが、質が悪く洗濯中の水が電気配線にかかってしまいショートすることが多かったのだそうです。
日常生活の使用に耐えうる電気洗濯機の生みの親がアルバ・ジョン・フィッシャーで、世界初の電気洗濯機の発明者とされています。
ただ、この頃はまだまだアメリカの街に電力が行きわたっておらず、販売業績は良くありませんでした。時代が早すぎたのですね。
電気洗濯機が世の中に広まるのは1930年代になります。
アルバ・ジョン・フィッシャーが開発した電気洗濯機は、アメリカ シカゴのHurley Machine Company(ハレー・マシン社)がThor(ソアー)というブランドで発売しました。
出展:Alis
Thorはドラムを横型に設置したような形をしていて、ドラムの回転によって洗濯物が持ち上がり、下に落ちる勢いで叩き洗いができるという仕様になっています。現在のドラム式洗濯機の原型ですね。
汚れ落ちを目で確認したら手動で排水して、キレイな水を入れてすすぎをするという洗い方で全自動ではありませんでした。
このThorは日本にも輸入されて国内でも販売されました。
日本で最初の洗濯機
日本製の電気洗濯機は東芝(旧芝浦製作所)が開発した「ソーラーA型」という洗濯機です。
出展:Dddeco, CC BY-SA 3.0 , ウィキメディア・コモンズ経由で
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:TOSHIBA_Solar.JPG
ソーラーA型の価格は約370円です。
しかし、この当時(1930年)の銀行員の初任給が約70円という時代ですので、電気洗濯機はとても庶民が買えるものではありませんでした。
小型攪拌式洗濯機
日本の一般家庭に電気洗濯機が広まり始めたのは昭和20年の後半です。
戦後からの経済復興の時代に誕生したのが東芝の「P型」と呼ばれる小型の電気洗濯機です。
日本初の噴流式電気洗濯機
出展:パナソニック story4家庭電化ブームの火付け役 噴流式電気洗濯機
昭和28年(1953年)には、三洋電機(現パナソニック)が日本初の噴流式電気洗濯機を開発します。
消費電力の少ないモーター、噴流を発生させるパルセーターがついていて、現在も人気がある縦型洗濯機の原点にもなっているものです。
この時代は、メーカーが3種の神器と称して「冷蔵庫、白黒テレビ、洗濯機」を喧伝して売り出していた時代でもあります。
贅沢は敵だった!?
実は、噴流式電気洗濯機が発売される前の年の昭和27年(1952年)の洗濯機の国内生産台数は15,000台程度しかありませんでした。
その理由は、従来の洗濯機の価格が高くとても庶民が買えるものではなかったこともありますが、高価な家電製品を使うことは贅沢すぎるという経済観念も関係していました。
この当時、洗濯は家庭の主婦の仕事で、タライと洗濯板を使って衣類をゴシゴシと手洗いするのは当たり前の家事労働でした。
外で働く男性は家事に興味関心が薄く、家にいる女性が電気洗濯機でラクをするのは贅沢だ、という考え方が主流だったのです。
こういった社会通念を変えるところからスタートして、贅沢は敵ではなく、便利になると男性も女性もみんなが豊かになると立ち上がった人々がいるからこそ、今のわたしたちの暮らしがあることも忘れてはいけませんね。
二層式洗濯機の登場
昭和40年(1965年)になると、二層式洗濯機が登場します。
洗濯槽と脱水槽に2つに分かれていて、洗濯が終わった衣類を脱水槽に入れてタイマーをセットして脱水をします。
二層式洗濯機は大変な人気となり、この頃にようやく日本全土のほとんどの家庭に洗濯機が置かれるようになったのです。
余談ですが、デアではいまだに二層式の洗濯機が活躍しています(笑)
洗浄力が非常に高いこと、職人が自分の目で確かめながら洗いやすすぎができること、全自動と比べて細かな調整がやりやすい、ほんの少し脱水したいなど職人ならではの使い方ができることがその理由です。
洗濯槽・脱水槽がひとつになった全自動洗濯機
洗濯槽と脱水槽がひとつになった全自動洗濯機が登場するのは昭和60年(1985年)頃。
40代より上の方は、小さい頃に家の洗濯機が二層式から全自動に変わったというご経験をしたことがあるのではないでしょうか?
ドラム式洗濯機の登場
実は昭和31年には東芝が発売した日本初のドラム式全自動洗濯機(DA6型)もあったのですが、当時は普及しませんでした。かなり大型の洗濯機だったので置き場所の問題があったようです。
国内でドラム式洗濯機の普及が進んだのはずっと先のことで、2000年以降です。
少ない水で叩き洗いができて、乾燥機能もついているということで人気が高まり、今では縦型よりもドラム式が好きという方もいらっしゃることでしょう。
当初のドラム式洗濯機は「洗浄力が弱い」「乾燥すると衣類が傷む」などのトラブルもありましたが、開発が進み非常に便利になっていることは言うまでもありませんね!
まとめ
洗濯機の歴史は、大変、不便、どうにかしたいという声を受けて、なんとかして便利にしようと時代に先駆けて頑張った人たちの苦労の結晶であることがわかりますね。
本当にありがたいことですし、これからもどんどん便利に変わっていくことでしょう。